『引き裂かれたカーテン』
1966年アメリカ
原題:Torn Curtain
監督:アルフレッド・ヒッチコック
脚本:ブライアン・ムーア
音楽:ジョン・アディソン
出演:ポール・ニューマン
ジュリー・アンドリュース
『引き裂かれたカーテン』イントロダクション
デンマーク・コペンハーゲンに向かう客船の一室で、男女が愛し合っている。
男はアメリカの原子物理学者マイケル・アームストロング(ポール・ニューマン)、女は助手で婚約者のサラ・ルイーズ・シャーマン(ジュリー・アンドリュース)だ。
二人はコペンハーゲンで開かれる国際物理学会議に出席するために、科学者の一団とともに船で向っていたのだった。
旅の途中、マイケルは「本が届いた コペンハーゲン エルモ書店」という電報を受け取る。
だがマイケルは最初は「私宛じゃない」と受け取りを拒否する。
しかしすぐ後に電報を受け取りなおし、「了解」との返信を送った。
やがて科学者たち一行はコペンハーゲンに到着する。
マイケルがシャワーを浴びている間に、代わりにサラが仲間の科学者のひとりカール・マンフレッド教授(ギュンター・ストラック)とともに本を受け取りに向かう。
サラから本を受け取ったマイケルは、本にはさまれた「Π(パイ)に接触せよ」との暗号を受け取ると、慌ただしく旅券の手配をする。
いぶかしるサラに、マイケルはスウェーデンのストックホルムに向かうと告げるのだった。
国際物理学会議が終わったら結婚式を挙げるつもりだったサラは、結婚式が延期になると思い、マイケルを問い詰める。
だが、マイケルは「結婚式までには戻る」の一点張り。
怒ったサラはホテルのフロントでニューヨークに帰る飛行機のチケットを手配しようとしたが、マイケルはなぜかマンフレッドと共に東ドイツ・東ベルリン行の便を予約していた。
東ベルリン行の飛行機に乗ったマイケルとマンフレッドだったが、なんとサラが後をつけて同じ便に同乗していた。
マイケルはサラに「東ベルリンに着いたら、つぎの便で帰れ」と置手紙を残す。
そしてなんと、マイケルは東ベルリンに着くなり、記者会見を開き、核兵器に対抗する迎撃ミサイルの開発を理由に東ドイツへの亡命の意を表明するのだった・・・。
冷戦下の東ドイツに潜入した科学者は売国奴かスパイか?『引き裂かれたカーテン』
映画が製作された1966年はアメリカとソビエト連邦(当時)が互いに核兵器で威嚇しあい、世界が二極化、一触即発の危機にあった。
映画の世界でもスパイ映画の『007』シリーズが欧米では大ヒット、スパイもののサスペンスは時代の一ジャンルとなっていた。
巨匠ヒッチコック監督も記念の50作目の監督作品でこの時勢を描いている。
それがこの『引き裂かれたカーテン』だ。
物理学者のマイケルは売国奴なのか、スパイとして東側陣営にもぐりこんだのか。
謎が謎を呼ぶ前半、そして当局から追われる身となったマイケルとサラの決死の逃亡劇の後半、という構成になっている。
ヒッチコックらしいサスペンスをちりばめた演出に、飽きることはないのだが、少々ストーリーの一貫性は欠くのが惜しい。
これまでのヒッチコック映画を彩っていた音楽のバーナード・ハーマンとは組まずに、今回はジョン・アディソンが音楽を担当、木管楽器のメロウな楽曲で暗い東ドイツでのサスペンスを描いている。
主演のポール・ニューマンは1960年代が役者として最も脂がのっていた時期である。
1963年、1965年、1967年の3度、ゴールデングローブ賞で「世界で最も好かれた男」に選ばれている。
また1969年にはロバート・レッドフォードと共演した『明日に向かって撃て!』は、ポール・ニューマンの映画履歴の中で最高のヒット作である。
ヒロインを演じたジュリー・アンドリュースも1964年にディスニー映画『メリー・ポピンズ』で長編映画デビュー、アカデミー賞主演女優賞を受賞している。
そしてジュリー・アンドリュースといえば、なんといっても1965年の『サウンド・オブ・ミュージック』だろう。
ジュリー・アンドリュースも、ポール・ニューマンと並んで1960年代もっとも成功した俳優のひとりである。
そんな二人がそろい踏みし、サスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックが監督した本作『引き裂かれたカーテン』だが、評価は残念ながら平凡なもの。
ヒッチコックの演出はいつも通りスリリング、ポール・ニューマン、ジュリー・アンドリュースの演技も安定している。
だが2大スターの共演、ということ以上に大きなフックがない作品となってしまっている。
こちらの作品もどうぞ!
≫映画評『めまい』巨匠ヒッチコックの最高傑作ともされるサスペンス・ミステリー!
コメント