映画評『翼よ!あれが巴里の灯だ』リンドバーグの大西洋単独飛行の自伝を映画化!

チャールズ・リンドバーグ 映画評
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『翼よ!あれが巴里の灯だ』
1957年アメリカ
原題:The Spirit of St. Louis
監督:ビリー・ワイルダー
原作:チャールズ・リンドバーグ
脚本:チャールズ・レデラー
   ウェンデル・メイズ
   ビリー・ワイルダー
音楽:フランツ・ワックスマン
主演:ジェームス・ステュアート

『翼よ!あれが巴里の灯だ』イントロダクション

1927年5月20日の早暁。

パイロットのリンドバーグは緊張で眠れずにいた。

なぜなら今日は、史上初の単独での大西洋横断飛行にチャレンジする日だったからだ。

ホテルの部屋の外では報道陣がタイプライターを打つ音がかしましい。

興奮と睡魔のなか、いくつものフラッシュバックが彼を襲う。

1923年のはじめての単独飛行、曲芸飛行団での日々、陸軍で飛行訓練も受けた。

また飛行教官として神父に飛行機の操縦法を教えたこともあった。

郵便機のパイロットとして濃い霧の中を飛んだことも。

大西洋横断飛行の企画の際、最初に専用飛行機の製作を依頼しようとしたコロンビア航空社とは取引は不調に終わった。

パイロットをリンドバーグのほかに立てようとしたからだ。

飛行機の製作はサンディエゴのライアン社に決まった。

資金援助はセントルイス商工会議所から取り付けた。

大西洋単独横断はリンドバーグだけの企画ではなかった。

誰が最初に飛び、成功させるか。

時間との競争でもあった。

ライアン社は大幅にスケジュールを前倒し、スピリット・オブ・セントルイス号を完成させる。

出発の前夜は雨だった。

滑走路は泥でぬかるんでいる。

離陸の際に泥でスピードが乗らなければ、滑走路の先の林に期待ごと突っ込んでしまう。

だがリンドバーグは出発を決意した。

時に1927年5月20日、ニューヨークのルーズベルト飛行場を、パリのル・ブルジェ空港に向けて、25歳の若者リンドバーグを乗せたスピリット・オブ・セントルイス号は飛び立ったのだった・・・。

リンドバーグの大西洋単独飛行の自伝を映画化した『翼よ!あれが巴里の灯だ』

郵便機のパイロットだったリンドバーグが、1927年に行った世界初の大西洋単独横断飛行の自伝を、名匠ビリー・ワイルダーが映画化したのがこの『翼よ!あれが巴里の灯だ』。

この世界記録の樹立の際、リンドバーグが搭乗した単翼機の名前が、原題にもある「スピリット・オブ・セントルイス」号。

映画の製作にあたり、撮影用としてスピリット・オブ・セントルイス号の複製は3機製作されたそうだけれども、劇中でのスピリット・オブ・セントルイス号製造シーンを見ると、「へえッ」と感嘆する。

よく写真で見るスピリット・オブ・セントルイス号は全体が銀色にきらめいているので、機体すべて金属製なのかと勝手に思っていたのだが、違った。

言われてみればそうなのだけれども、この当時の飛行機は、まだ機体のほとんどが木製の骨組みに、キャンバス地を張ったものなのだ。

金属は機首のエンジン回りのカバーと、コックピット周辺のみで、胴体も翼も木製の骨格にキャンバス地、あの銀色はカンバス地に塗料を塗ったものだったのだ。

その原題にもなった「スピリット・オブ・セントルイス」、邦題になると『翼よ!あれが巴里の灯だ』となる。

ニューヨークのルーズベルト飛行場から約33時間のハードなフライトを経て、夜のパリにたどり着いたリンドバーグがこのセリフを言ったのだなと思って映画を観ていても、こんなセリフはちっともなかった(笑)

この「翼よ!あれが巴里の灯だ」ということばは、リンドバーグの自伝を翻訳した翻訳家・佐藤亮一氏が邦訳版のタイトルに「翼よあれがパリの灯だ – 大西洋横断飛行の回想」と付けたものが元ネタだそうであるが、これは見事な邦訳タイトル。

劇中で闇夜にパリの街並みの明かりが浮かび上がるシーンで、日本人はみんなこのセリフを言ってしまうのではなかろうか(笑)

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