『飢餓海峡』
1965年東映
監督:内田吐夢
脚本:鈴木尚之
音楽:冨田勲
出演:三國連太郎
左幸子
高倉健
『飢餓海峡』イントロダクション
「飢餓海峡・・・。それは、日本のどこにでも見られる海峡である。その底流には、我々は善意に満ちた貧しい人間の、どろどろした愛と憎しみの執念を見ることができる・・・」
本州と北海道をつなぐ津軽海峡はいま、台風直前の不気味な風ぼうの中にあった。
昭和22年9月20日早暁、能登半島を通過した10号台風は進路をやや東南に取り、関東北部から三陸沖に抜けるというのが、この日の気象台の予測であった。
青函連絡船「層雲丸」は、船客856名と貨車12両を乗せて函館港を定期に出港した。
ところが、8時近くになると、函館海洋気象台の広報はにわかに変更され、台風は次第に進路を北東に取り、津軽海峡をわたって北海道南部に上陸する模様、とくに、函館から岩内方面にわたる、海洋全域の出漁船は十分注意されたい、と警告を発した。
陸上20メートルないし25メートルの強風、海上30メートルないし35メートルの強風。
この台風で、不測の大惨事が起こった。
この日、北海道岩幌町の質屋に強盗が押し入り大金を強奪、一家を斬殺したうえ、書庫隠滅のために火を放つ。
火は市街に延焼し、町の8割をを焼き尽くす大火となった。
逃亡した犯人の姿は三名。
その中に身の丈6尺の大男・犬飼(三國連太郎)の姿があった。
3人は嵐にまぎれ、海峡を渡ろうと小舟で海に乗り出す。
北海道を襲った台風は青函連絡船「層雲丸」を転覆させ、多数の死傷者が出る。
翌朝海岸に打ち上げられる多数の死者。
遺体収容にあたる函館警察は、2体だけ身元不明の男の遺体を発見する。
それらの遺体は、連絡船の乗船名簿に該当は無く、誰の引き取り手もなかった。
函館署の弓坂刑事(伴淳三郎)はこれらの遺体が質屋襲撃犯のうちの二人であると感を巡らし、残る一人の行方を追う。
青森県の大湊で娼婦をしていた杉戸八重(左幸子)は、一夜を共にした犬飼から、思いがけない大金を受け取る。
犬飼を追う弓坂刑事は大湊にも捜査の手を伸ばしていた。
弓坂は八重を尋問するが、八重は犬飼をかばいなにも存ぜぬを貫いた。
犬飼からもらった金で借金を清算した八重は、東京に出るが、八重は犬飼への恩を忘れることなく、金を包んであった新聞紙と、犬飼の親指から切った爪を肌身離さず持っていた・・・。
水上勉の小説を斬新な映像美で映画化した社会派傑作ミステリー『飢餓海峡』
青函連絡船の遭難事故(洞爺丸事故)と岩内大火という、実話を題材にした水上勉の小説を、巨匠・内田吐夢が三國連太郎、伴淳三郎、左幸子、高倉健の共演と斬新な映像美で映画化した社会派傑作ミステリー。
内田監督は当時の現代日本人が置かれている「飢餓」の状況を描くために、実験的な撮影法を試した。
それがW106方式と呼ばれるもので、16ミリで撮影されたモノクロフィルムを35ミリに引き伸ばし、画面にざらざらとした質感や硬質の渇いた印象のフィルムをつくった。
戦後間もないころの日本人の貧困やそれにあえぐ人々の悲哀が、物語で三國連太郎演じる主犯の犬飼(物語後半は名前を変え「樽見京一郎」)のバックグラウンド、娼婦の八重の悲哀の人生など、各キャラクターに反映されている。
犬飼の犯行の動機と、その後の人生の成功との対比も哀しければ、犬飼の完全犯罪を崩すのが、八重の犬飼への恩義ゆえの行動という皮肉もまた哀しい仕掛けだ。
たったひとつのボタンの掛け違えがラストの悲劇につらつらとつながっていくシナリオ運びは素晴らしい。
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