映画評『レイジング・ブル』ミドル級元世界チャンピオンで実在のボクサー、ジェイク・ラモッタの半生をマーティン・スコセッシ監督が描く名作

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『レイジング・ブル』
1980年アメリカ
原題:Raging Bull
監督:マーティン・スコセッシ
脚本:ポール・シュレイダー
   マーディク・マーティン
音楽:レス・ラザロビッツ
出演:ロバート・デ・ニーロ
   キャシー・モリアーティ
   ジョー・ペシ
   フランク・ヴィンセント
   ニコラス・コラサント
   テレサ・サルダナ

『レイジング・ブル』イントロダクション

1964年、ニューヨーク。

小太りでつき出た腹を隠そうともしないジェイク・ラモッタ(ロバート・デ・ニーロ)はクラブでコメディアンをしていた。

控室でジェイクは、あの耳に残る歓声、頭から離れないあの晩の出来事を思い出す。

あの晩の試合のことだけではない、どの試合も、どのパンチも。

減量はきつかったが、悪くない人生だったと振り返る。

だが、シェークスピアを唄えて歓声を浴びるほうが楽だ、とも。

シュガー・レイとの戦いを経験すれば、どんな名優でもリングより舞台を選ぶはず。

だからこの“雄牛(ブル)”に出番をくれ、まだ戦えるが歌でも披露する。

・・・そういうジェイクは、かつてボクシングのミドル級チャンピオンだった。

1941年。

敵地オハイオでのリーブス戦。

デビュー以来無敗を誇っていたジェイクは最終ラウンドを迎えていた。

ポイントではジェイクが不利、左目も切って流血。

だが、ジェイクは後には引かない、倒れもしない。

反撃のラッシュを敵に浴びせ、リーブスをダウンに追い込む。

このラウンドだけで3度、合計7回のダウンを奪った。

レフェリーがカウントを取る。

カウントナインでゴングが鳴る。

勝負は判定にもつれ込み、ジェイクは負けた。

怒れるジェイクは、妻のみならずマネージャーで弟のジョーイ(ジョー・ペシ)にまで八つ当たりをする。

暴飲暴食をジョーイに咎められるが、聞きもしない。

だが、あるとき市民プールで出会った15歳の少女ビッキーとの出会いが、つかの間ジェイクの心を癒す。

ジェイクは妻のある身でありながら、ビッキーとの交際を始める・・・。

ミドル級元世界チャンピオンで実在のボクサー、ジェイク・ラモッタの半生をマーティン・スコセッシ監督が描く名作『レイジング・ブル』

実在のボクサーでミドル級世界チャンピオンにまで上り詰めた、ジェイク・ラモッタの栄光と挫折の半生を、マーティンス・コセッシ監督がモノクロ映像で描く名作。

数々の試練を乗り越え、1949年、世界チャンピオンに輝くジェイク。

しかし、嫉妬深く独善的なふるまいは、妻ビッキーや弟ジョーイとの関係をしだいに壊してしまう・・・。

ロバート・デ・ニーロが、大幅に体重を増減させるなど迫真の演技でアカデミー賞男優賞を受賞している。

デ・ニーロが劇中で増減させた体重差は、なんと27㎏。

ボクサーとして鍛え上げられた肉体と、引退後の肥満体型という極端な体型差を見せる。

もちろん当時(1980年)は今みたいなCG加工技術は無しだ。

ボクシングの試合のシーンも真に迫っている。

印象的なオープニング曲は「カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲」。

メジャー調だがその旋律は切なく悲しく、どこかで聞いたこともある人は多いはず。

主人公ジェイク・ラモッタの破滅的な性格ゆえに、観ているこちらがつらくなるシーンが多いが、ボクサーの孤独と、チャンピオンまで上り詰めた男の非情さと情熱がよく描かれている。

それ故に、同様に描く引退後のコメディアンとしての余生を送るジェイク・ラモッタの孤独と悲哀もいっそう際立つ。

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