映画評『硫黄島からの手紙』イーストウッド監督が描く太平洋戦争の悲劇

硫黄島 映画評
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『硫黄島からの手紙』
2006年アメリカ
原題:Letters from Iwo Jima
監督:クリント・イーストウッド
脚本:アイリス・ヤマシタ
音楽:カイル・イーストウッド
   マイケル・スティーヴンス
出演:渡辺謙 
   二宮和也
   井原剛志 
   加瀬亮
   中村獅童

『硫黄島からの手紙』イントロダクション

2006年、東京都小笠原諸島硫黄島で、戦地調査隊が、本部跡の地中から数百通にも及ぶ手紙を発見する。

それは太平洋戦争末期、この島で戦った兵士たちが家族にあてて書き遺したものだった。

1944年6月、小笠原方面最高指揮官に、栗林忠道陸軍中将(渡辺謙)が着任する。

硫黄島に降り立った栗林は、自らの目で硫黄島の守備状況を確認、海岸での水際防衛作戦を改め、内地持久戦による徹底抗戦に作戦を変更する。

視察中、理不尽に体罰を受ける西郷昇一等兵(二宮和也)を助ける栗林。

島の海軍軍人は水際防衛や飛行場確保に固執するが、連合艦隊の全滅や本土からの応援が望めないことを知った栗林は、それらの意見を抑えつつ、トンネルを張り巡らせる地下陣地の構築を命じる。

食料も見ず不足している過酷な状況で、1945年2月19日、アメリカ軍が硫黄島に押し寄せ、上陸作戦を開始した。

事前の艦砲爆撃ののち開始されたこの作戦は、その圧倒的な兵力差から5日で終わるだろうと思われたが、実際は36日にも及び、死傷者数が日本軍よりアメリカ軍のほうが多いという太平洋戦争史のなかでも特筆される激戦となった・・・。

もはや日本映画といっても過言ではない『硫黄島からの手紙』

『硫黄島からの手紙』は主演の渡辺謙をはじめ、主要登場人物に日本人俳優を起用。

アメリカ映画でありがちな、ステレオタイプの演出もなく、これはもはや日本人が撮った日本映画と言っても過言ではない違和感のなさで、イーストウッド監督はじめスタッフが日本に対して並々ならぬリスペクトをもって作り上げられたことがわかる。

日本人にとって、外国映画で日本人として登場する中華系や東南アジア系、日系アメリカ人の顔立ちやしゃべる言葉のアクセントなどは、やはり違和感がある。

これがあると、作品世界に入り込む前に興がさめてしまう。

役者ばかりではない。

登場人物の回想シーンで出てくる日本家屋などセットにも、若干の差異はあるものの、おおむね納得のいく完成度だ。

イーストウッド監督は当初、この作品を日本人監督に依頼するつもりであったそうだが、それだけ日本人が見て違和感ないものをめざしていたのだろう。

結局はイーストウッド本人が監督を務めるが、日本人へのリスペクトはその出来上がりを見ればわかる。

「硫黄島プロジェクト」の日本側視点からの作品『硫黄島からの手紙』

『硫黄島からの手紙』は、対(つい)となる作品がある。

同年2006年公開された『父親たちの星条旗』がそれだ。

第二次世界大戦の最大の激戦の一つである硫黄島での戦いを、日米双方からの視点で描くのが「硫黄島プロジェクト」であった。

当初はイーストウッドはアメリカ兵の視点から描いた『父親たちの星条旗』だけを撮るつもりであったらしいが、撮影中に、日本視点の必要性を強く感じ、『硫黄島からの手紙』も撮影することになった。

『硫黄島からの手紙』には戦闘シーンやCGなど『父親たちの星条旗』からの流用もあるし、リンクするシーケンスもあり、二つの映画はそういった物理的な面、作劇のテクニカルな面からも兄弟である。

それだけでなく、『父親たちの星条旗』も『硫黄島からの手紙』も、両方に共通する点は、戦う兵士たちがともに人であること、家族のある血の通った人間を描いていることだ。

硫黄島の戦いはアメリカ軍による島の占領、日本軍玉砕という結果を迎える。

双方に物理的なだけでなく、多大な精神的苦痛を与えたのがこの第二次世界大戦であったことを、イーストウッド監督は彼らしい作法で映画にした。

視点を広げるためにも、『硫黄島からの手紙』とともに『父親たちの星条旗』も観るべきだ。

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