『終電車』
1980年フランス
監督:フランソワ・トリュフォー
主演:カトリーヌ・ドヌーヴ
『終電車』イントロダクション
1942年、ナチスドイツによるフランス北部占領の2年後。
南北で占領地区と自由地区に分断されたフランス。
夜11時以降は外出禁止とされ、終電車に乗り遅れると面倒なことになった。
市民は食料を求めて何時間も行列をなし、夜は寒さをしのぐため劇場へ殺到する。
映画も芝居も満席で予約にも苦労するありさま。
物語の舞台、パリのモンマルトル劇場は上演予定の芝居のけいこ中だったが、ユダヤ人の支配人兼演出家ルカ・シュタイナーは南米へ逃亡した。
ルカの妻で女優のマリオンは夫になり替わって劇場の切り盛りをしていたが、実はルカは劇場の地下室に潜伏し、国外逃亡の機会をうかがっていたのだった。
演出家のジャン=ルーはドイツ軍にも顔がきき、評論家とも親しく、何かとマリオンを紹介するが、気が向かないマリオン。
新作劇の準備の中、マリオンの相手役にベルナールという青年が応募してくる。
ベルナールはどうやらレジスタンスと関係があるらしく、ユダヤ人排斥にも批判的だった。
舞台の成功とナチスの抜き打ちの検閲、批評家との悶着を通じ、ベルナールに愛を感じ始めたマリオンだったが・・・。
名匠トリュフォー監督晩年の円熟味がさえる大人の恋愛劇
製作・監督・脚本を務めるフランソワ・トリュフォー監督は1950年代~60年代活躍したフランス・ヌーベルバーグを代表する映画作家だ。
映画仲間だったジャン・リュック・ゴダールやクロード・シャルブロとともに、斬新かつ鮮烈な表現の作品を次々と発表し、後世の映画監督たちにも多大な影響を与えた。
この『終電車』はトリュフォー監督の作品の中でも、しっとりした大人の愛を描く美しさが前面に立つ。
まろやかなライティング、落ち着いた構図でじっくり物語を魅せる、まさに円熟したフランス映画の境地だ。
トリュフォーは今作『終電車』の主人公マリオン役にドヌーヴをイメージして脚本を作り上げたという。
そんな二人は、1969年の『暗くなるまでこの恋を』をきっかけに一時恋愛関係にあった。
かつての愛を思い返しながら、切ない大人の恋愛をフィルムに反映させたのだろう。
『終電車』はトリュフォー晩年の最大のヒット作となり、フランスにおけるアカデミー賞にあたるセザール賞主要十部門(作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞、主演男優賞、撮影賞、録音賞、編集賞、美術賞、音楽賞)受賞している。
映画業を続けながらトリュフォーは1984年、脳腫瘍のため52歳で死去した。
戦時下のフランス・パリの様子と演劇シーン
1940年、ドイツ軍を相手にパリは無血開城。
停戦条約ののち、パリにほど近いヴィシー地方はドイツ軍に占領されることなく、フランス国の名で存続する。
事実上のナチスの傀儡政権であるヴィシー政権はフィリップ・ペタンを主席とし、4年以上のあいだ存続することになる。
パリはナチスドイツの支配下にあり、あらゆる美術・芸術が被害を受ける。
美術品・芸術品は持ち去られ、上映される演劇・映画もすべてナチスの検閲を受けなければ上演できなかった。
ユダヤ人排斥もパリでは例外ではなかった。
ユダヤ人差別はなにもナチスドイツによってのみ為されたのではなかったことが、この『終電車』でも描かれている。
支配下に置かれたフランス人も、本心からではないにしても、ユダヤ人を差別し、ナチスに売ったのである。
ユダヤ人のルカを夫に持ったマリオンは懸命にルカをかくまうが、地下に押し込められた生活に、しだいにルカは疲弊していく。
それがルカとマリオンの愛の形に変容をもたらすことにもなる。
『終電車』はそんな時代の設定をうまく使いながらも、戦争映画ではなく、上質の大人の恋愛映画となっている。
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