映画評『鉄道員』鉄道機関士としてはたらく初老の男の半生とその家族を描くイタリアン・ネオリアリズム不朽の名作

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『鉄道員』
1956年イタリア
原題:Il Ferroviere
監督:ピエトロ・ジェルミ
脚本:アルフレード・ジャンネッティ
   ピエトロ・ジェルミ
   ルチアーノ・ヴィンチェンツォーニ
音楽:カルロ・ルスティケッリ
出演:ピエトロ・ジェルミ
   エドアルド・ネヴォラ
   ルイザ・デラ・ノーチェ
   シルヴァ・コシナ
   サロ・ウルツィ
   カルロ・ジュフレ
   レナート・スペツィアリ

『鉄道員』イントロダクション

第二次世界大戦後のイタリア。

鉄道機関士のアンドレア・マルコッチ(ピエトロ・ジェルミ)は、鉄道一筋の人生約30年、今は親友のジジ・リヴェラーニ(サロ・ウルツィ)とともに特急鉄道の運転士を務めている。

そんな父親を、まだ幼い末っ子のサンドロ(エドアルド・ネヴォラ)は誇りに思っていた。

アンドレアは仕事が終わると行きつけの酒場で仲間たちと飲み、ギターを弾き、歌うことが楽しみだった。

だが家では厳格な性格のアンドレアは、長男のマルチェロ(レナート・スペツィアリ)と長女のジュリア(シルヴァ・コシナ)からは疎まれていた。

マルチェロは失業中、ジュリアは夫のレナート・ボルギ(カルロ・ジュフレ)との間に赤ん坊を身籠り、悩んでいた。

クリスマス・イブのその日も、仕事が終わったアンドレアをサンドロは迎えに行く。

ちょっと一杯だけのつもりでアンドレアは酒場により、サンドロを先に返すが、結局店じまいまで飲み明かす。

家に帰って酔いつぶれたアンドレア。

サンドロはテーブルの上に、ジュリアは家に帰ったとのメモを見つけ、ジュリアの家に向かう。

ジュリアは産気づいたのだったが、赤ん坊は死産だった。

ある日、アンドレアが運転する特急列車に若者が飛び込み自殺する。

ショックを受けるアンドレアだったが、運転は続行する。

だが、赤信号を見落としてしまい、危うく衝突事故を起こすところだった。

会社はアンドレアの健康状態を調べ、聴き取り調査を行うと、彼を左遷してしまう。

アンドレアは、ストライキを計画中だった労働組合に不満を訴えるも、取り合ってもらえず、次第にアンドレアは酒におぼれ、家にも帰らなくなってしまった・・・。

鉄道機関士としてはたらく初老の男の半生とその家族を描くイタリアン・ネオリアリズム不朽の名作『鉄道員』

名匠ピエトロ・ジェルミが監督・主演で、第2次世界大戦後、鉄道機関士として働く初老の男の半生とその家族を、幼い息子の視点から描くイタリアン・ネオリアリズムの不朽の名作。

冒頭から流れるギターのメロディが、イタリア映画ならではの哀愁を誘う。

戦争を乗り越えた昔かたぎの男が、長年勤めた鉄道機関士という仕事に誇りを持ちながらも、労働組合から仕事の不満を取り合ってもらえず、家族との不調和もかかえ、酒浸りになっていく。

主人公のアンドレアを筆頭に、貧しいながらも懸命に生きる庶民の喜怒哀楽がリアリスティックに描かれているが、けしてベタベタしたものになっていないところに、監督のピエトロ・ジェルミの差配が光る。

いたるところで程よくインサートされるカルロ・ルスティケッリの劇版が抒情的で、アンドレアの息子サンドロ初年の視点から描かれる家族や町の様子は、どこかで既視感があると思って考えてみると、世界名作劇場だ。

アニメの『母を訪ねて三千里』や『フランダースの犬』のようなさじ加減なのだ。

当時の日本アニメーションの作り手たちが、皆が皆この映画を観たかどうかはわからないが、ピエトロ・ジェルミの作品の一本くらいは見ただろうし、ピエトロ・ジェルミの作家性を作った過去の作品群には同じように接した可能性は大いにある。

この時代にはまだフランスやイタリアの映画界もハリウッドに劣らず活気があった時代だったから。

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