映画評『荒野のストレンジャー』クリント・イーストウッド監督・主演の異色の西部劇!

馬の鞍 映画評
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『荒野のストレンジャー』
1972年アメリカ
原題:High Plains Drifter
監督:クリント・イーストウッド
脚本:アーネスト・タイディマン
   ディーン・レイスナー
音楽:ディー・バートン
出演:クリント・イーストウッド
   ヴァーナ・ブルーム
   マリアンナ・ヒル

『荒野のストレンジャー』イントロダクション

荒野を一人の流れ者(ストレンジャー)(クリント・イーストウッド)が馬に乗って現れる。

流れ者は湖畔の小さな町ラーゴにふらりと立ち寄った。

流れ者をびくびくした目で遠巻きに眺めるラーゴの住人達。

流れ者は住人達と毛色の違う3人のガンマンにからまれるが、無視して酒場に入る。

酒場では店の奥にひとかたまりになった住人達が、流れ者をこわごわと見つめていた。

ビールとウイスキーを注文する流れ者。

そこに先ほどの3人のガンマンたちが再び現れ、流れ者にからんできた。

ウイスキーの瓶を持って酒場の外に出る流れ者は、床屋に入りひげそりと風呂を頼む。

床屋の主人が恐怖に震える手で流れ者の髭に泡を塗ったころ、またもや3人組が入ってきた。

床屋の中に緊張が走る。

挑発する3人組に、ついに流れ者の銃が火を噴く。

あっという間に流れ者は3人を撃ち殺してしまった。

町の住人達はみな、この出来事におろおろするばかりで、町長も保安官も流れ者を咎めようともしなかった。

だが、この殺された3人は実は町の用心棒で、1年前に町で捕まえ刑務所送りになった3人の無法者の復讐に備えて雇っていたのだった。

用心棒が殺されて、無法者に備える余裕をなくした町の住民たちは、その凄腕を見込んで、流れ者に用心棒を頼むことにした。

最初は渋っていたが、何でも言うことを聞くという申し出に、用心棒を引き受けることにする。

しかし住民たちは安心することはできなかった。

流れ者は巨大なテーブルを用意してパーティーの準備や、赤いペンキを大量に用意させ町じゅうの建物を赤く塗るように指示を始めたのだった。

わけがわからないまま従う住民たち。

そのころ刑務所からは3人の無法者が釈放され、ラーゴに復讐に向かっていた・・・。

クリント・イーストウッド監督・主演の異色の西部劇『荒野のストレンジャー』

『荒野のストレンジャー』は西部劇の体裁を取ってはいるが、登場する舞台となるラーゴの住民が誰一人として、フロンティア・スピリッツにあふれているわけでもなく、自警の思想で自ら戦おうとはしない、そういった意味では異色の西部劇だ。

この皮肉は、映画作りのイーストウッドの師匠セルジオ・レオーネの影響が強く表れている。

また主人公である流れ者の正体がよくわからないことと、名前がないこともレオーネの作劇の影響であろう。

イーストウッドがその名を一躍有名にしたセルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』(1964年)、『夕日のガンマン』(1965年)、『続・夕日のガンマン』(1966年)(いわゆるドル箱三部作と呼ばれる作品群だ)の主人公も、やはり特定の名前は無かった。

イーストウッド監督の、こういった主人公の名前や正体をはっきりさせない作り方は、この『荒野のストレンジャー』のほかに、『ペイルライダー』(1985年)でも見られる。

今回の主人公の流れ者は、かつて正義を貫こうとして非業の死を遂げた元保安官の魂なのではないかということをちらっとうかがわせるカットがラストにある。

『ペイルライダー』の主人公「牧師」もどこか人間然としない、精霊のような存在感を漂わせる。

また、この作品の荒々しさはイーストウッドのもう一人の映画の師匠ドン・シーゲルの影響下にあるだろう。

作風のほかに、早撮りが得意だったドン・シーゲルにならい、イーストウッドもこの作品をたった6週間で撮影している。

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