『奴らを高く吊るせ!』
原題:Hang ‘Em High
監督:テッド・ポスト
主演:クリント・イーストウッド
イタリアに渡ったクリント・イーストウッドがマカロニ・ウエスタンで大当たりし、ハリウッドに凱旋した記念碑的作品である。
監督のテッド・ポストとはこののち『ダーティ・ハリー2』でもコンビを組む。
『奴らを高く吊るせ!』のあらすじ
元保安官のジェド・クーパー(クリント・イーストウッド)は、牛の世話をしていたところを突如、9人の男に襲われる。
クーパーはヨハンソンという男から牛を買ったと主張する。
しかし男たち曰く、クーパーの主張するヨハンソンの人相が合致しない。
そしてヨハンソンは妻と共に殺されていたとう。
男たちはクーパーをヨハンソン殺害と牛泥棒の容疑で私刑にかけ、首吊りにする。
瀕死のクーパーを、たまたま通りかかった連邦保安官のブリスが助ける。
クーパーは護送中の囚人とともに、フォートグラントという町に運ばれた。
そこでクーパーはフェントン判事から冤罪を認められ、釈放される。
同時に元セントルイス保安官の経歴を買われ、連邦保安官に誘われる。
自分をリンチにかけた9人の男たちに、合法的に復讐するため、クーパーは保安官のバッヂを受け取るのだった・・・。
『奴らを高く吊るせ!』のタイトルと変容していくテーマ
イタリアで『荒野の用心棒』(1964)『夕日のガンマン』(1965)などでマカロニ・ウエスタンのヒーローとして成功したクリント・イーストウッドが、ハリウッドに凱旋して制作された最初の本格西部劇がこの『奴らを高く吊るせ!』である。
主な舞台となるフォート・グラントはオクラホマ準州に属す広範な土地で、その広さに反し、裁判所も、保安官もあまりに少なく、犯罪が多発しているという設定。
西部開拓時代のアメリカではよくある話だが、こういった地域ではよく自警団が結成される。
クーパーを私刑にかけた9人の男たちも、そういった自警団的な組織だったと想像するに難くない。
今回クーパーは冤罪だったが、自警団が自分たちの土地や牛馬を守るために、強盗や泥棒を保安官や判事に変わって裁くことはよくあったし、西部劇では復讐劇の題材によく使われるネタだ。
今作『奴らを高く吊るせ!』で特異なのはフォート・グラントの設定。
裁判所の前にはまるで見世物のように絞首刑台が設置されている。
有罪の決まった罪人たちは、次々にそこで絞首刑にかけられる。
しかもそれは、町ではまさしくショーとして、衆人環視のもと刑が執行されるのだ。
クーパーはそれに違和感を感じるようになる。
自分を私刑にした男たちを一人ひとり探し出し、捕え、フォート・グラントに連行する。
そして犯人は、名目的に裁判にかけられ、結局は絞首刑になるのだ。
物語後半、法の執行人フェントン判事のやり方としだいに衝突するようになるクーパーだが、それは当時の法制度や死刑制度のありかた、ひいては正義の在り方とはどういうことか、に疑問を呈する現代人的な視点だろうか。
物語ラスト、クーパーの復讐相手は残り2人となる。
その2人を探して、クーパーがまたフォート・グラントを旅立つ、というカットで映画は終了する。
当初の復讐の目的は、まだ完遂されていない。
しかし既存の正義のあり方と制度にに疑問を抱き始めたクーパーが、これまでと同じように復讐を遂げることができるのか?
クーパーは残りの2人を絞首刑にする=高く吊るすことができないかもしれない。
だが法の名のもとの正義のために、クーパーは戦うことは誓った。
これからはその葛藤の物語に変容せざるを得ない。
だからこそ、『奴らを高く吊るせ!』というタイトルのこの映画は、ここで終わるのだ。
こちらの作品もどうぞ!
≫映画評『マンハッタン無宿』イーストウッドとドン・シーゲルの初タッグ
コメント