『フィールド・オブ・ドリームス』
1989年アメリカ
原題:Field of Dreams
監督:フィン・アルデン・ロビンソン
脚本:フィン・アルデン・ロビンソン
原作:ウィリアム・パトリック・キンセラ『シューレス・ジョー』
音楽:ジェームズ・ホーナー
出演:ケヴィン・コスナー
エイミー・マディガン
ギャビー・ホフマン
レイ・リオッタ
ジェームズ・アール・ジョーンズ
バート・ランカスター
『フィールド・オブ・ドリームス』イントロダクション
「僕の親父はジョン・キンセラ、アイルランド系の名前だ。
1896年、ノースダコタに生まれ、ヨーロッパ戦線から帰還した1918年まで都会を知らなかった。
シカゴに住み着いてからは、地元のホワイトソックスの試合に一喜一憂し、1919年のワールドシリーズ敗戦に泣き、翌年の夏、八百長が発覚、8人の選手が告発されたときは、号泣した。
父自身、1~2年マイナーリーグにいたが、目は出ずじまい。
35年にブルックリンに移り住んだ。
2年後に結婚。
海軍の造船所で働き、僕が生まれたのはもう、50の半ばを越してからだ。
僕の名はレイ・キンセラ。
3つのとき母が死に、男手ひとつで親父も苦労したろうけど、僕はマザーグースの代わりに、ベーブ・ルースやルー・げーリック、偉大な”シューレス”ジョー・ジャクソンの話を聞いて育った。
そのころ親父は、ヤンキース・ファン。
僕は意地でもドジャース贔屓に回ったが、58年にドジャースが移転、野球に変わる口論の種を懸命に探した。
ちょうど進学の時期で、僕はうちから一番遠い大学を選び、・・・バークレー大学に進学、ともかくも、親父の鼻を明かしてやった。
専攻は英語だったが、時代はあの60年代。
デモに明け暮れ、マリファナの味をおぼえ、シタールを爪弾き、そしてアニーと出会った。
アニーはアイオワの出身だが、僕はそんな州の名もろくに知らないくらいで、二人に共通点はなかった。
卒業後、彼女の家に転がり込んだが、家族との同居生活は半日で破綻。
74年の6月、僕らは正式に結婚し、その秋、親父が死んだ。
数年後、カリンが誕生。
ちょっぴり匂うが、でも可愛かった。
そのうち農場を買おうと、突飛なことを言い出したのはアニーだ。
僕は36歳、家族を愛し、野球が好きで、いま、農夫になろうとしている。
でも、これと言って型破りなことは、何ひとつしてない。
そう、あの声を聞くまでは・・・。
不思議な声に導かれ野球場を作った男の前に現れたのは、今は亡き伝説のメジャーリーガー!『フィールド・オブ・ドリームス』
「それを作れば、彼がくる・・・」
ある日、啓示を受けた男が、野球場を作ることで、つぎつぎと不思議なことが起こり始める。
大人の童話ともいえる、ファンタジー・ストーリー。
日本ではなじみ深い野球への愛とノスタルジーあふれる作品と思いきや、意外と物語は軽やかに展開する。
主演は当時『アンタッチャブル』(1987年)でハリウッド・スターへと歩みだしたケビン・コスナー。
そして、往年の大スター、バート・ランカスターも出演。
彼の遺作となった劇場映画でもある。
野球がテーマの作品なので、特にアメリカのみならず、日本のように野球が広く親しまれている国でヒットし、アメリカでは受賞は逃したもののアカデミー賞で作品賞、脚色賞、作曲賞にノミネート。
日本ではブルーリボン賞や日本アカデミー賞で最優秀外国語作品賞を受賞している。
この映画を思い出のナンバーワン映画に上げる人も多いのではないだろうか。
誰にでもある人生の後悔と、誰かの心残りを実現してあげたい、そんな思いのつまった作品。
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