『ダウントン・アビー』
2019年イギリス
マイケル・エングラー監督
ジュリアン・フェロウズ脚本
2010年から2015年にかけてTVで放送されたフェロウズ製作の同名のテレビシリーズの続編で、テレビシリーズでおなじみだった面々が次々に登場するのはワクワクものです。
冒頭であの大邸宅が画面いっぱいに映し出され、あの印象的なピアノがメロディを奏でるテーマ曲が流れると、シリーズをずっと追いかけて視聴していた私には、自分がダウントンに帰ってきたような郷愁感がこみ上げ、すでに目頭が熱くなってしまいました。
時代設定は1927年(テレビシリーズラストから約2年後)、ジョージ5世とメアリー王妃によるダウントン・アビー訪問の知らせがクローリー家にもたらされるところから映画は始まります。
この時期のジョージ5世の時代といえば、第一次世界大戦が終わり、アイルランド自由国が成立し、もう少しすると世界恐慌が起きるちょうど端境期。そういった時代背景を知っていると、より楽しめるかもしれません。この映画を見たイギリス人たちは、われわれが気づかない劇中で表現されるあれやこれやにニヤリとしているのかもしれないなあ、と思ったり。
さてこの訪問にクローリー家の面々はもちろんですが、使用人達も王室を出迎えるための準備に張り切ります。ダウントンの住人達も王様のご尊顔が拝めるということで沸き立っている。
ところが、執事や料理長など、王室の身の回りの世話ははすでに従者たちが一緒に付き添っており、ダウントンの使用人の面々は用がないと追いのけられてしまいます。
当主のメアリーは執事のトーマスの働きぶりにも不安を感じ、かつての執事だったカーソンに助けを求めますが、これにトーマスはへそを曲げます。
クローリー家の面々はそれぞれにテレビシリーズよろしくそれぞれ問題に直面し、使用人たちは一致団結し王室お付の従者たちに反撃を目論見ます。
あとは見てのお楽しみなのですが、2時間のあいだによくぞたくさんの登場人物と出来事を詰め込んだものですが、これらをまた最後にはシュウっと解決に収斂していく脚本と構成はテレビシリーズ同様お見事。広く広げた風呂敷をうまくたたむフェロウズの手腕に感嘆しました。
またテレビシリーズ同様、20世紀初頭当時の服装や舞台となる街並みの再現も見事。
複雑な人間関係がわかりにくい、とか、テレビシリーズを見てないから・・・と腰が引けている人には、私がお勧めする以下の三人に注目すると、少しすっきり見ることができるのではないかと思います。
まずはクローリー家の長女メアリー。父母存命の中、ダウントンアビーを相続し、貴族のアイデンティティに悩みながらも、現代を強く生きる女性です。
今回の王室訪問に際してもダウントンのかじ取り役を担うわけですから、物語の軸の一本として注目でしょう。
次にトム・ブランソン。彼はテレビシリーズ中、運転手の立場からクローリー家の三女シビルと結婚、クローリー家の家族として迎えられることになるのですが、シビルは数年前に死没。シビルとの間にもうけた子供たちを大切に育てながら、メアリーを助けダウントンの運営を手伝っている立場。もともと貴族には反対派の社会主義者でもあり、映画の中でもそのあたりと絡めながら、さまざまな活躍をすることになります。
そして執事のトーマス。バイオレット様とどっちにしようか迷ったのですが、個人的にトーマス推しでいきます(笑)
彼はゲイであることを隠してコンプレックスを抱え生きている男です。もともとは第一下僕という立場から、第一次大戦に従軍し、負傷兵として帰ってきたり、悪巧みに長け、皮肉屋であることから使用人仲間からは一歩遠いところから見られたりもするのですが、実はコンプレックスゆえに寂しがり屋。要所要所でクローリー家の危機を救う忠誠心もあり、ついには執事の立場まで上りつめます。
テレビシリーズで一番成長した(と私が思う)キャラクターでもあり、人間臭さもしっかり描かれているのはこの映画でも健在です。
貴族、貴族と使用人のあいだ、使用人、と、この三つの軸を、この三人に注目することで、ダウントンアビーの世界がわかりやすくなるのではないかな~と思いますので、ぜひ注目して作品を楽しんでみてください。
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