『カジュアリティーズ』
1989年アメリカ
監督:ブライアン・デ・パルマ
主演:マイケル・J・フォックス
音楽:エンニオ・モリコーネ
原題はCasualties of War。つまり「(戦争における)不慮の傷害」とか「不慮の災難」「死傷者」といった意味。
ベトナム戦争において、現地の少女を誘拐・強姦・殺傷したアメリカ陸軍兵士たちの犯罪を告発した実話ベースの戦争映画。
マイケル・J・フォックスといえば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズが真っ先に思い浮かぶコメディ俳優だが、今作では戦場において人間の倫理観を貫き通す新兵というシリアスな役どころ。
冒頭からベトナム戦争のファッキンな戦闘をデ・パルマはしっかり描く。
暗がりで敵とも味方ともわからない目標物に、雄たけびをあげながら機関銃をぶっぱなし、味方の陣地で戦友が撃たれて死に、地下通路からはベトコンが這い出す恐怖。
密林での5人の偵察行、リーダーは枷を失った若年の軍曹(ショーン・ペン)で、恐怖の反動の高揚感と、自分がその場の最高指揮権を持つという万能感で、ベトナム人の小村から娘を略奪する。
戦争の熱に浮かされ、人の道を見失い暴走していくもの達の中でただ一人、マイケル・J・フォックス演じる主人公エリクソン上等兵だけが、「これは誘拐だ」「強姦なんてできない」「咳している。病気なんだ」「殺す必要なんかない」と部隊の中で孤立していく。
一人だけ、「やっぱよくないんじゃないかな・・・」と感じてる兵士もいるが、結局その彼も状況に流されてしまう。
新兵であるエリクソンだけが、まだ人間性を失わずにいられたのは、新兵だったが故かもしれない。
他の兵士たちも、古参を自称するものですらたった3週間の前線経験だったのである。戦争はひと月もたたないうちに、人間の価値観を変えてしまう。変えてしまうのに十分な狂気に満ちているのである。
あと数週間、この戦場にいたら、エリクソンもあるいは・・・。と思わせる。
戦場という極限状態にいれば、人間は壊れてしまうもんなのだろうか?
そういうふうに、あきらめていいのだろうか?
作中、地雷を踏んで死んだアメリカ兵をの遺体を見てエリクソンは言う。
「俺たち間違ってないか? 何か勘違いしている。いつ吹き飛ばされるかわからない、だから何をしてもいいと。なにも構わなくなる。だけど、きっと逆なんだ。大切なことは反対だ。いつ死ぬかわからないからこそ、よけいに考えるべきなんだ。構うべきだ、きっとそれが大切なんだ」
ベトナム戦争に限った話ではない。
朝鮮戦争でも湾岸戦争でも、当然太平洋戦争でも起こったに違いない状況。
だが、繰り返していいのか?
その価値観を常に問うために、こういった戦争映画が存在する意義がある。
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