映画評『地獄の逃避行』破滅的な青春の逃避行を描いた美しきロードムービー

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『地獄の逃避行』
1973年アメリカ
原題:BADLANDS
監督:テレンス・マリック
主演:マーティン・シーン

『地獄の逃避行』イントロダクション

小さいころに母親を亡くし、父親と二人暮らしのホリー(シシー・スペイセク)は退屈な毎日を過ごしていた。

そんなある日、清掃係員の青年キット(マーティン・シーン)がホリーの前に現れる。

何度も会って、なんとなく会話を重ねていくうちに、二人は恋に落ちた。

二人の関係を知ったホリーの父親(ウォーレン・オーツ)は激怒し、罰としてホリーの愛犬を射殺、キットには出入り禁止を言い渡す。

キットはホリーとの駆け落ちを企て、ホリーのうちに忍び込むが、父親に見つかってしまい、口論の末ホリーの父親を射殺してしまう。

キットは家にガソリンをまき、火を放つと、ホリーを連れて逃走する。

二人はしばらくのあいだ、森に隠れて過ごしていたが、やがて3人の警官に見つかりそうになる。

茂みに身を隠していたキットは3人の警官を撃ち殺し、ふたたびホリーと逃げ出す。

今度はキットのかつての清掃係員の仲間の家に転がり込む二人だったが、警察に通報されそうなそぶりを見せたところを、これまたキットは背後から射殺する。

このように次々と殺人を繰り返しては逃げ回るキットとホリーだったが、すぐに人を殺すキットに愛想をつかし始めたホリーは・・・。

破滅的な刹那の青春を美しく描いた『地獄の逃避行』

寡作ながらも製作するいづれの作品も高い完成度で、評価の高いテレンス・マリックの監督デビュー作。

1958年にネブラスカ州で実際に起こった事件を題材に、行く先々で殺人を重ねていく行き当たりばったりな若い男女の逃避行を印象的で美しいフィルムワークで描いた作品。

犯罪を重ねながらの逃避行カップルといえば、ボニー&クライドのように、テンション高く破滅に向かって突進、というものが多いが、この『地獄の逃避行』のキットとホリーは、静かで思索的である。

ストーリーはホリーのモノローグで進むが、語り口も穏やかで、15歳の少女(という設定)にふさわしく、とりとめのなさ、あどけなさが、一方で残酷な犯罪を淡々と語る、ぞっとする恐ろしさを湛える。

当の連続殺人の主犯はキットなのだが、キットも激情型の人物ではない。

清掃係員をクビになった時も、ホリーとのつきあいを父親に反対されたときも、けして激しく怒ることなく、ふりかえって一息おく。

まるで自分の身に起きた不幸を、寂しく心の中で噛みしめるかのように。

そんなキットをマーティン・シーンが演じることができたのは、マーティン・シーンがけしてハリウッドでもビッグ・スターというわけではなく、どこか満たされない寂しさを持つ役者だからだろうか。

テレンス・マリック監督ならではの遠景の撮影の美しさも、儚げでこの作品の神秘性に一役買っている。

タイトルの『地獄の逃避行』はあまりにもミスマッチ

この『地獄の逃避行』は日本では劇場公開されていない。

日本で知られるようになったのは、マーティン・シーン主演の『地獄の黙示録』(1979年)が話題になってからだ。

原題は『BADLANDS』(荒野)でぴったりなのだが、同じマーティン・シーンが主演だからと乗っかった形で『地獄の~』とつけられてしまったのが、なんというか不幸だ。

当時の邦題を付けた人間の感覚を恨む。

テレンス・マリックのデビュー作にして、のちのデヴィッド・フィンチャーやクエンティン・タランティーノに影響を与えたという面では、『地獄の黙示録』より重要な作品だといっても過言ではないのだけれど。

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