映画評『地獄の黙示録』

夕日 映画評
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『地獄の黙示録』
(原題:Apocalypse Now )
監督:フランシス・フォード・コッポラ
主演:マーティン・シーン
   マーロン・ブランド
原案:ジョゼフ・コンラッド『闇の奥』

あらすじ

ベトナム戦争末期。

アメリカ陸軍将校のウィラード大尉(マーティン・シーン)は、元グリーンベレーの体長カーツ大佐(マーロン・ブランド)の暗殺指令を受ける。

カーツ大佐は軍から離反し、カンボジア奥地に自分の王国を築いていた。

現地で海軍から哨戒艇を調達するウィラード。

乗組員には任務の内容を告げぬまま、川を遡上する。

そこで目にする戦争の狂気。

サーフィンをしたいがためにベトコンの基地を爆撃する指揮官。
(ヘリコプターの部隊がワーグナーの『ワルキューレの騎行』で出撃する有名なシーンはここ)

ジャングルの奥地で慰問ととして行われるプレイメイトのショーと、狂喜する兵士たち。

麻薬でおかしくなっていく哨戒艇の乗組員も、一人二人とベトコンの襲撃の前に散っていく。

そしてたどり着いた奥地でウィラード大尉が目の当たりにしたものは・・・

コッポラの「なんだか作ってて、わけがわからなくなってきた」感

はじめてこの映画を観たときの感想を思い出す。

ひとことでいうと、「なんだかわからないけど凄いものを観た」である。

この『地獄の黙示録』は、人間が次第に狂気に陥っていくさまを、コッポラの映像美で観客に見せつける。

主人公でカーツ大佐の探索・暗殺を命じられるウィラード大尉は、最初はまだまともな人間だ。

いや、一度離れた戦場に、自ら戻ってきてしまったあたり、すでに戦争の毒に侵され始めてはいる。

それでもまだ視聴者と同じく、戦争の現場の外からの闖入者である。

その彼が任務を帯びて戦場に深入りしていく。

我々もウィラードと共に戦場に入り込むことで、ウィラードが感じる戦争の違和感、日常とは違う非日常の狂気を目と耳で感じる。

これは作り手にとっても同様、あるいは視聴者以上に混沌とした体験だっただろう。

台風の直撃や資金繰りで難航する撮影現場では、スタッフのあいだにマリファナやLSDが次第に蔓延していったという。

のちに「この映画のテーマは何か」と尋ねられたコッポラが「撮っていて途中でわからなくなった」と答えたというエピソードもある。

『地獄の黙示録』という作品の物語自体がカオスに突入していくストーリーであり、スタッフも視聴者もそれに巻き込まれてしまったわけだ。

この、作品と視聴者が混然一体となる「なんだかわけの分からないもの凄さ」がこの映画の価値である。

ちなみにカンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞している。

映画通が好きそうな映画という点でも折り紙付きである。

ガマンできないかも

『地獄の黙示録』の上映時間は2時間41分もある。

「も」あるのである。

正直この狂気のロードムービーに付き合うには、よほどのコッポラ・ファンか映画好きでないと、我慢できなくて席を立つだろう。

私は見ちゃいますけどね。

ストーリーの起伏が激しい作品ではないし、時間を追うごとに派手な戦闘シーンは減っていく。

そのくせコッポラは「特別完全版」を出すのである。

上映版の際にカットしたシーンを40分近く追加して、堂々の3時間22分である。

時間とともに増すのは、狂気と正体のつかめぬ緊張感。

話の筋だけ知りたければ、倍速で再生してもいいだろう。

だがそれではきっと、この狂気の深みと緊張感が増していくストレスは半減してしまう。

う~ん、でもねえ、この映画の面白いところは“そこ”なのだ!

観たあとにスカッとするための映画ではないのだ、『地獄の黙示録』は。

戦争でおかしくなった兵士たちの、われわれからすると非日常に少しずつ取り込まれ。

何かおかしなことになっているぞと感じながらもウィラード大尉一行とベトナム~カンボジアの濁流をけだるく遡上し。

エンドクレジットが終わっても「それで……どういうことなんだ?」と考え込まされるラスト。

それでいて、なまじっかコッポラの美しいフィルムに絵力(えぢから)があるのでたちが悪い。クソフィルムにはならない。

公開から40年たった今でも、「何回観てもよく分からないけど、なんだかすごい」怪作なのである。

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