映画評『悪魔の手毬唄』スリルとサスペンスに富んだ波乱のドラマを名匠・市川崑監督が鋭いタッチと迫力で描く!

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『悪魔の手毬唄』
1977年東宝
監督:市川崑
脚本:久里子亭
原作:横溝正史
音楽:村井邦彦
出演:石坂浩二
   岸惠子
   仁科明子
   渡辺美佐子
   永島暎子
   草笛光子
   若山富三郎

『悪魔の手毬唄』イントロダクション

昭和27年。

岡山と兵庫のあいだにある寒村、鬼首村(おにこべむら)を探偵・金田一耕助(石坂浩二)が訪れていた。

知り合いの岡山県警の磯川警部から、この村の温泉宿を紹介されたからだったが、磯川にはこの村に関して金田一に調べてもらいたいことがあった。

この鬼首村ではかつて、仁礼家と由良家の2大勢力が存在していたが、あるときから仁礼家がブドウ栽培を始めたところ、これが村の一大産業となるほどの成功を収めた。

危機感を抱いた由良家の当主、卯太郎のもとに、恩田幾三という人物が現れる。

恩田はモールづくりの仕事を持ち掛け、卯太郎は仁礼家への対抗手段として、この恩田の話に乗る。

恩田は村人にモールの製造機械を売りつけると、月に2、3度やってきては、村人たちからモールを買い上げ、代金を置いていくのだった。

そのような状況の鬼首村で、温泉宿・亀の湯の次男・青池源治郎が妻のリカと息子の歌名雄を連れて村に戻り、亀の湯の主人となった。

源治郎は恩田を詐欺師と見破り、単身恩田が滞在していた庄屋の末裔、道楽者の多々羅放庵の家の離れに乗り込む。

だが、源次郎は戻らなかった。

心配したリカが様子を見に行くと、源次郎は撲殺され、死体は囲炉裏のなかに倒れ込み、顔が無残にも焼かれてしまって判別すらできなくなってしまっていた。

犯人は恩田だと目されたが、その事件以来恩田は、行方不明となっていた。

磯川警部はこの事件の死体が、顔が焼かれていたことから、本当に源治郎なのかどうか疑問を抱いており、金田一に事件の調査を依頼したのだ。

金田一が村を訪れたころ、時を同じくして村出身の人気歌手別所千恵が里帰りするという話題で、村は持ちきりになっていた・・・。

スリルとサスペンスに富んだ波乱のドラマを名匠・市川崑監督が鋭いタッチと迫力で描く!『悪魔の手毬唄』

市川崑監督、石坂浩二主演による金田一シリーズの映画第二弾で(第一弾は1976年の『犬神家の一族』)、横溝正史の原作と微細な変更点はあるものの、ほぼ原作通りに作られている。

市川崑監督お得意のすばやいカット割りや絶妙のアングル、鋭いタッチにより、混沌たる殺人事件が迫力を失うことなくテンポよく進んでいく。

前作の『犬神家の一族』同様、いや、一連の金田一シリーズに通して言えることだが、石坂浩二演じる金田一耕助は探偵というものの、連続する殺人事件を止めることができないのはお約束。

金田一は、事件を解決するのではなく、視聴者にひも解く「解説者」なのである。

今作『悪魔の手毬唄』は興行成績で約7億円とヒットを飛ばしたが、前作『犬神家の一族』の15億5900万円と比べると、半分。

逆に言えば『犬神家の一族』が大ヒットも大ヒットだったのであるが。

フィルムの質も、不思議と『悪魔の手毬唄』は荒く、ウォームだ。

『犬神家の一族』の鮮麗さはどこへ行ったという感じだ。

おなじ市川崑監督で、カメラワークも編集もアングルの取り方も、そう変わらないというのに。

ひとつ、明確に違うところといえば、血の色、であろうか。

市川崑独特の、一瞬ばっと画面に散る血糊のインサートがある。

これが、『悪魔の手毬唄』ではモノクロになる。

「前作と全く同じことはしないよ」という監督の意思の表れかもしれない。

ちなみに脚本にクレジットされている「久里子亭」は、クリスティのもじりのペンネームで、おもに市川崑監督を中心とする脚本チームの連名。

由来は著名なミステリー作家、アガサ・クリスティーからきているという。

自身がミステリーが大好きだという市川崑。

この『悪魔の手毬唄』以後も、ながいこと金田一と付き合っていくことになる。

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