5月16日はHR/HMのヴォーカリスト、ロニー・ジェイムス・ディオの没日だ。
今年2020年は彼が死んで10年となる。
ディオというボーカリストを意識したのは、70年代から80年代にかけて活躍したHRバンド、レインボーの初代ボーカルとしてである。
ロック・ギターが趣味だった中学生の私は、レッド・ツエッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジと並んで、ディープ・パープルのギタリスト、リッチー・ブラックモアも大好きだった。
そんなリッチー繋がりで聴き始めたのがレインボーだった。
最初に聞いたのは『レインボー・オン・ステージ』というライブ盤だった。
そこでヴォーカルを務めるディオの、太いパワフルな歌声と圧倒的な歌唱力は、リッチーのギターとタメを張る存在感で当時の私に迫ったのだ。
ヴォーカリスト・ディオの経歴
ここでざっとディオのヴォーカリストとしての経歴を追ってみる。
ディオは1962年にロニー・アンド・ザ・レッドキャップスというバンドでプロ・デビューしている。
けっこう早いデビューだ。
ビートルズやストーンズと肩を並べているから、キャリア自体は相当長い。
その後「エルフ」というバンドでディープ・パープルの前座を務めていた時にリッチー・ブラックモアに見いだされ、リッチーがディープ・パープルを脱退、ソロ活動する際にディオを引き抜き、『リッチーブラックモアズ・レインボー』というアルバムを出している。
「レインボー」ではこのあと破壊的名盤『ライジング』、そして『バビロンの城門』を出して、ロニーはレインボーから脱退する。
そのあとになんと、オジー・オズボーンが在籍していた「ブラック・サバス」に加入。
ここでも素晴らしい歌唱力で名盤『ヘヴン・アンド・ヘル』を発表する。
その後ブラック・サバスをぬけると、1982年、自らの名前を冠したバンド「ディオ」を結成、ヴィヴィアン・キャンベルやローワン・ロバートソン、ダグ・アルドリッチなど名ギタープレーヤーと共演し、80年代~90年代のHR/HMシーンでゴッドファーザーと呼ばれるほどの地位を誇った。
1986年にはアフリカの飢餓救済を目的としたチャリティ・プロジェクト「ヒア・アンド・エイド」を結成し、当時活躍していたHR/HM系ミュージシャンが多数参加したアルバム『スターズ』を発表した。
(HR/HM版の『ウィ・アー・ザ・ワールド』みたいなもんだ)
2006年にはディオと並行しながらブラック・サバスの活動にも復帰。
だが権利問題でブラック・サバスのバンド名は使用できず、バンド名は「ヘヴン・アンド・ヘル」となった。
ディオの死
2009年、ヘヴン・アンド・ヘルの最初のアルバムを発売し、ツアーを行った後、ディオは自身の公式サイトで早期の胃癌であることを明かす。
予定されていたツアーはキャンセルとなり、闘病生活に入る。
しかし2010年5月16日、ヒューストンの病院で死去。
67歳の人生の幕を閉じた。
闘病中から数々のロックミュージシャンの見舞いを受けていたディオだが、追悼にも続々とミュージシャンたちの弔問を受け、その人柄をしのばせた。
偉大なヴォーカリスト・ディオを偲ぶ
ロニー・ジェイムス・ディオはさまざまなミュージシャンに影響を与えた。
そして多くのロックファンにとってもカリスマ・ヴォーカリストであった。
一節その歌声を聞けば、ディオとわかる歌声と存在感。
5月16日はそんなディオの命日。
今夜は彼の歌声を聴いて、在りし日の雄姿を思い出したい。
何を聞こうか。
やはりレインボーかブラック・サバスか。
個人的にはレインボー時代の「ア・ライト・イン・ザ・ブラック」で圧倒されて終わりたい。
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