双極性障害で入院

双極性障害
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・双極性障害の発症

福岡へ転勤となり一カ月、引っ越しや新しい仕事、新しい人間関係でバタバタとしていたところに、梅雨の気圧の影響による偏頭痛がひどくなり、鬱が再発、合わせて、躁状態にもなりました。

躁と鬱が入れ代わりが激しかったのか、入り混じっていたのか、自分ではよくわからない状態でした。

メンタルクリニックの先生から、「鬱ではなく、双極性障害のようだ」と診断され、精神病院への入院を強く勧められます。
「つらくなったら死にたいと思うことはない?」
と聞く医者に
そりゃ(人生生きていれば)思わないこともないです
と答えた私の言葉に、先生が「自殺の恐れあり、これは入院しなさい」となったのです。
誘導尋問かよと苛立ち、私のハイな部分が「冗談ではない、会社をまた休むことになるが、しばらく安静にすれば治る」と入院を拒否しました。
一方で、「これは面白い体験ができるかもしれない」と客観視して楽しむ自分もいました。
同時に、「双極性障害とはなんぞや」という不安、「入院しても退院までの期間が予測できない」不安が頭の一部分でもやを張っていました。

この時の私は、短期間で激しく躁と鬱が入れ替わっていたのだと思います。

結局、入院に同意します。

・入院

6月、両親の助けを借りて、福岡のある精神病院に入院します。

メンタルクリニックで書いてもらった紹介状をその精神病院の先生に見せて問診を受け、入院する部屋に案内されました。
フロアごとに出入りが制限されており、隔離されるんだということが実感されました。
4人部屋の一角をあてがわれたのですが、しょっぱなからストレスに見舞われます。

同部屋のある男性が、私が閉めたカーテンをそっと開けて、私の様子をうかがうんですよね。
目が合うと、何かぶつぶつ言っています。目が合わない時も自分のベッドでなにかつぶやいている。ふらっと立ち上がっては廊下を覗き見たり。
また、ほかの部屋からも、時折だれかのぎゃあとか叫び声が聞こえたりする。
それからナースセンターのガラス戸をバンバン叩いて「お願いしまーす」と叫び看護士さんから「まだですよ」といなされる女性。
廊下に座り込んでいる手首にいつも包帯を巻いたガリガリに痩せた女の子。
あるときなど誰かにちょっかいをかけて暴れたあげく数名の看護師に抱えられ一人部屋に閉じ込められる男性を目撃。
などなど・・・

ありていに言えばこちらの気が落ち着かない。
雰囲気がありすぎる。
とてもじゃないがここに居ては逆におかしくなりそうだと思いました。
そもそも「なぜ入院しなければならないのか」という気持ちもまだ強く残っていましたし。

看護士さんに相談しますが、今はどの部屋もいっぱいなので我慢してほしいとのこと。

週一回の先生との面談の時、同じことを相談しました。

10日ほどして、フロアを変えてもらうことができました。

ひとつ上のフロアに移ったのですが、こちらは皆さんおとなしかったです。
なんだ部屋あるじゃん、と不信感が強まりましたが、それでもだいぶ気が収まりました。
4人部屋だったのですが部屋には私のほかご老人が一人、どこが悪いのかわからないプロ野球ファンの紳士でした。

相変わらずフロアの出入り口は出入り制限があり、持ち物チェックもあり(当然のごとく刃物厳禁、T字剃刀も持ち込み禁止でした)ましたが、週に3~4日は昼間外出できました。近所にショッピングモールがあり、中の店で駄菓子を買ったりしていました。
また週に一回は外泊で家に帰ることができました。

食事は三度三度、フロア内にあるホールで患者みんなが集まり、配膳されたものを食べます。
どうしても部屋から出られない、具合が悪くて出てこれない人もいて、そういう人は自分の部屋のベッドで食べることになっていました。
運動しないからというのもあるでしょうけど、食事の量は少な目、内容も柔らかなものが多くて、ご老人の患者さんへの配慮なんだろうと思いました。

あるとき、小学生の時からの友人がお見舞いにも来てくれました。
何か娯楽はあるかと問われたので
「大岡昇平の『俘虜記』を読んでる」
と返す余裕が出てきました。

7月末、夏祭りと称してフロアの中でレクリエーションが催されました。
おそらくそこで、そのフロアの全員と顔を合わせたと思います。
流しそうめんや射的、盆踊りなどが行われました。
楽しんでいるみんなを見ていると、普通の人たちばかりなんだけどなあ・・・と思ったり。

そうこうして過ごすうち、いよいよ退院したくなりました。
というか、最初の1カ月は我慢していたのですが、7月に入って「退院したい」と言い続けていたのですね。
退院してよい、ということになったのは7月末になってからでした。
約2カ月近くの入院生活でした。

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